四人の子持ちになった三太郎。助産院で奥さんの胎盤を食べさせられてから人生がはじけたようです。「お蔭様で」を口癖に、素直で自然な生き方の三太郎が繰り広げる、涙あり笑あり(ちょっとH?も)のずっこけ人生日記。心の師匠、塩梅先生が応援します。
文:中居三太郎と塩梅先生
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旅の思い出 2003年12月12日(金)  No.014
 

 名古屋7:39発 のぞみ1号で岡山へ、乗り継いで しおかかぜ5号で12:07に松山到着。松山までの4時間半、列車の旅は、あっという間だった。

このごろの新幹線はかっこいい。先頭がドナルドダックのくちばしや、ジェット戦闘機をイメージさせるものなど、はっと目を奪われる。

ホームに入ってきた時、これに乗れると思うと、いい年のおじさんでもウキウキしてくるなんて俺だけかな。ウチの坊主たちならどんな顔をするだろう。

 今回の旅は仲間16名の親睦旅行。
松山の道後温泉で一泊して、翌日は坂本竜馬の故郷 高知の桂浜へ。
一泊二日の旅にしてはかなりの移動だ。

松山で楽しみにしていたものは、二つあった。
一つは人に会うこと、もう一つはもちろん温泉である。

松山へ着いたら5:30まで自由行動になっていたので、私は予てからの希望どおり、市内に住むある人に会いに行った。

これについては「お陰様って何様」のまとめとして書くことにする。
さわりだけ書くと、守護霊と対話が出来るという○○さんに会いに行ったのである。
守護霊はいるのか、またどうして守護霊がつくのか、三太郎の守護霊は誰?などなど、個人的な相談も含めて取材をしたのだ。

この話はいつか「お陰様って何様?(7)」でアップの予定。


 道後温泉は楽しみの一つだった。
聞くところによれば、この温泉は3000年の歴史があるそうな。
大国主命、少彦名命、聖徳太子、一遍上人などによる言伝えや、書物が残っていることでも有名である。

ちなみに「伊予の国」とは、道後温泉の「湯」から来ていて、もともとは「湯の国」で、その「ユノクニ」が好字化二文字政策によって「伊予の国」となったとのこと。

重要文化財の指定を受けている道後温泉本館は、今年のアカデミー賞受賞作品アニメ映画「千と千尋の神隠し」の「油屋」のモデルになったことはご承知のとおりである。たまねぎ頭をした湯婆婆の住む、お城のような風呂屋である。


一階は、「神の湯」といって東と西に男湯が二つあり、女湯が一つある。二階、三階は御茶や菓子付いたり、個室もあるというリッチなサービスがあるが、時間切れで見学が出来なかった。

なんといってもこの「神の湯」の浴槽は、花崗岩でこしらえた一枚板が大きいのに驚く、また風呂の中央には山部赤人の和歌を刻んだ湯釜がデンと座って、その歴史はいやがおうにも感じざるを得ない。

『坊ちゃんおよぐべからず』

浴室内に掲げてある看板は、松山に来たなぁという感じもひとしおである。

料金は一階のみで300円。公営施設となっており、従業員は市の職員だそうだ。だから閉店は10時きっかり。朝風呂は6時から。だが、飲みすぎで寝坊。残念!!

 何かで読んだが、松山は日本中の都市で「最も住みやすいところ」に選ばれた都市だそうである。確かに落ち着いた街の雰囲気は生活していくのにちょうどよい空間だ。

公園、山、海、高原、文化施設などに加えて、物価が安く、住居費も安い一方で、給料や各種の収入が比較的高いのだそだ。台風さえこなけれりゃ最高だ。


 正岡子規記念館、南へ下って高知の坂本竜馬記念館を巡って旅は終わった。

30半ばでこの世を去ったそれぞれの偉人に少しだけ自分を重ねる。

二人に共通することは、わずかな年月で100年分の内容の仕事をしたということだろう。もっと勉強してから又来ることを二人に誓う。

 四国は真言密教の国。

 「そこを通ります。」

自転車に乗ったお遍路さんが後ろから駆け抜けていった。
編み笠におなじみの白装束。
四国一周だ!
「気をつけて!がんばれ!」心が叫ぶ。

『ここへもう一度来たい。』
岐路の途中でそう思ったのは久しぶりのことである。

三太郎流のお仕置きです。 2003年11月27日(木)  No.013
 たまに私が早く帰ると、嫁は声を荒げて子供に怒鳴っていることがある。
昨日もそうだった。
そんな嫁の態度を諌めるが、明らかに子供の方に正してもらわなければならない場合、そして子供が親の言うことを聞かない場合、どうしてます?

 もちろん子供にもそれなりに言い分があり、それを聞くことは大切だ。

 子供と居れば、口で言っても言うことを聞かない場合はしょっちゅうだ。
自分の我がままを通そうと、怒って、泣いて、暴れて、まったくどうしたものか、、、。男の子は特にね。

 例えば、
約束を守れなかった、
弱いものをいじめた、
卑怯なことをした、
人のものを盗んだ、
怪我や命に関わることをした等。。
こういう場合、理由如何ではもちろん叱ります。
それ以外では、、どうかな、今は思いつかないかな。。
我が家で叱るとすれば、これぐらいしかしないのであるが、、。

そして叱っても、言葉だけでは解ってもらえない場合、

私はお仕置きします。ウヒヒ。。
これが結構楽しい。。。

これやると子供がギャアギャアとわめきながら足をばたばたさせます。
喜んでいるのか、苦しんでいるのか。。
そんなことお構いなしの三太郎流のお仕置きです。

@
お仕置き名:べろべろ
お仕置きレベル:2〜3(通知表5段階評価を参考)
お仕置き対象:わが子の鼻の穴
お仕置き場所: 部屋の中
お仕置き道具:舌
お仕置き時間:20秒以内
お仕置き方法;
仰向けにねじ伏せ馬乗りになる。
両腕を押さえ込む。
顔を両手で挟んで動けないようにする。
そして鼻の穴の辺りをべろべろと舐めまわす。
アドバイス:鼻の頭ではだめ。舐められる気持ち悪さが伝わりません。
注意:ハナタレ小僧には出来ません。相手の体力が勝る場合は夫婦で強力。
備考:嫁にも新婚当時よくやりました。


Aもあるけど、、、もっと凄いやつ。止めとこ。。。

まったくなに考えてるんだか。。

あほ丸出しですみません。


 お陰様シリーズがなかなか書けません。
まとまるまで、書き溜めたものの中からアップしています。

ちょっと頼みがあるんだけど。 2003年09月12日(金)  No.012
 
 今月で満二歳になる我が家の末っ子、最近の口癖は「ゲッチュ!」である。

真面目な顔をして、両方の握りこぶしを前に突き出して言うのである。三太郎はテレビを見ないので、何でこれが面白いのか分からないが、兄弟たちには大ウケなのである。

末っ子は、自分がウケているのが分かるらしく、リクエストがあれば何度でもやってみせる。その度に笑ってもらえたり、褒められるのがうれしいようだ。また、三太郎が帰宅して顔が合うと決まって、「ビール、ビール。」と走って冷蔵庫の中から一本持ってきてくれる。

「おお〜!ダイちゃん!ありがとう!!」

と言うと、チョッピリ照れてはいるが、「役に立ててよかったぁ」という顔がうかがえる。喜ばれたい、という思いは二歳の子でもあるのかしらん。

 三太郎の行動パターンも、末っ子と同じである。「成り行き」と「頼まれたら断らない」だけでやっているのだ。なぜなら、頼まれたことをやるというのは、喜ばれるからなのである。

 そう、三太郎も喜ばれたいのである。

まぁとにかく時間的に無理な場合を除いて、「僕でいいの?」と一応確認してから、良識の範囲内でお引き受けしている。損得勘定や体調などは気にしない。勿論、やることに決まったら腹をくくって真面目にやるのだが、それでいてこれがけっこう面白いことが多いのである。

たまに知らない事を体験することもある。しかし、こっちが失敗しても念を押してあるから余計なストレスもないので、やっぱり楽しめるのだ。

前回も書いたがこの「それでええがね」は、まさしく成り行きで始まった頼まれ事。三太郎自身面白い時間のすごし方が出来て楽しいのだ。ここのオーナーに感謝である。
 
 引越しの時もそうだった。三畳、四畳半、六畳の間取りでは次男の勉強机はとても置けないと言うのが理由である。別に机がなくても、もう2つもあるのだからいいではないかと三太郎は思うのだが、そういう訳にも行かないらしい。

また、義父の一人暮らしの様子が心配でもあったのだ。食事はスーパーで買って来たパック入りのお餅と味噌汁だけで、野菜を摂るといっても、これも買ってきたレタスの包みを破って、そのままマヨネーズをつけて食べるという有様だったのだ。

そういう訳で、実家へ引っ越してほしいと家内に頼まれたのだ。

三太郎は自分の持っていた家も財産も、今の仕事の元手に注ぎ込んだのでスッカラカン。一応長男だけど、家を出てしまったのでどこに行っても構わなかった。まだ両親は元気だから、取りあえずそっちへ行こうという事になったのである。

 そんな経緯で、三年目になるこの田舎暮らし、これが思いのほか楽しいのである。朝、自家栽培の野菜と地元産のご飯が食卓に並ぶ。庭でドッチボールが出来る。夜遅くまで騒いでも周りは田んぼばっかり、近所は叔父一家だけなのでお構いなしだ。

4人目が出来たときには、驚き半分嬉しさ半分で、思ってもみない幸せがやってきた。一人暮らしだった義父は、孫の子守と復活した畑仕事で、ボケるどころか益々元気で明るくなったのである。

通勤時間は掛かるものの、名古屋市を縦断するので行動範囲も広がり、付き合いや仕事も増えてきた。車なので飲みにこそ行けないが、あちこち道草ができるのも楽しみの一つになったのである。



「ちょっと頼みがあるんだけど。NOと言っちゃダメだよ。」
「なんですか?」
「とにかくYESと言いなよ」
「・・・。ああ、なんでもやりますから、なんですか?」
「映画『座頭市』をやってくんないかなぁ」

  やっぱりなぁと思った。

 夏休みの最後の日、名古屋駅の地下街に貼ってあった映画『座頭市』のポスターに目が釘付けになった。義理人情や任侠の作品の多いビート・たけしこと北野武(*1)監督(以下敬称略)が自分で作りたい映画だとは思えなかったのである。

で、製作発表の記者会見で、たけしが座頭市をやる羽目になった経緯をネットで見つけた。この映画は頼まれて出来たのである。(*2)

 頼まれごとを引き受けると喜ばれることは勿論だが、予想外の展開もあって、これが結構面白いのである。

  
しかし、頼み方も無茶苦茶だけど、訳も聞かずに引き受けるんだから、う〜ん、やはり「天才たけし」と呼ばれるような凄い人なのだ。


−レベルの低い頼みごと−

「ダイちゃん、コマネチ!。」
「ぅん?」
「コ・マ・ネ・チ!」両手をウチ腿につける。
「ぅん?」
「ねぇ、コマネチってやってよ。」
「ぅん?ォネチィ?。」
「・・・もういいよ、ビール持ってきてぇ。」
「ビール!、ビール!。」ダダダッ!

「おお〜!ダイちゃん!ありがとう!!あんたもエライ!!!。」

====================================
■(*1)北野 武 <きたの たけし> 47年生まれ。明治大工学部中退後、浅草・フランス座で芸人修業。73年ツービートを結成、毒舌ギャグで人気を博す。89年「その男、凶暴につき」を初監督。97年「HANA−BI」でベネチア映画祭金獅子賞。2003年第60回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門に「座頭市」で銀獅子賞(監督賞)・他3賞を受賞。

 (*2)映画『座頭市』 2003年3月27日製作発表記者会見
  http://www.office-kitano.co.jp/zatoichi/report_01.html

■その他印象に残ったコメントの抜粋

・くしくも9月6日は黒澤監督の命日。「HANA−BI」が金獅子賞を受賞した翌年に亡くなった黒澤監督は、その直前、たけしに一通の手紙を書き送っていた。中には「日本映画をよろしく頼む」という一文が。

・金獅子ではなかったが、黒澤監督の“遺言”をしっかと守ったたけしは「多くの観客が楽しんでくれて満足していた。まさかそれ以上のことがあるとは思わなかった。感謝でいっぱいです」

・銀獅子像や「観客賞」など4種類のトロフィーを手渡された北野監督は、「コンペに選ばれただけで光栄。その上、評判が良くて、黒沢明監督の命日に賞までもらってしまった。失礼だけど、お客さんに喜んでもらった観客賞が一番うれしい」と述べた。

・海外メディアからの取材では、なるべく黒沢監督や「座頭市」シリーズを当たり役にした勝新太郎さんの話をしたそうで、「いい恩返しができたと思う」と話していた。

■三太郎より
・封切りの9月6日に地元の映画館で『座頭市』を観てきました。面白かったですよ。やはり血の出るシーンがイッパイあったけど、わかりやすいストーリーとコントや演芸ありで楽しめました。ラストの大タップシーンは圧巻!!。

・今回「お陰様って何様?」は、書いてて話がそれていっちゃったのでタイトルを変えました。次回続きを書く予定です。でも、ここにもお陰様の助けが入っていると思うんですよ。

お陰様って、何様?(6) 2003年08月23日(土)  No.011

その「わ・た・し」って「魂」だと思いませんか?

 
 今年から始まったこの「それでええがね」は、手前味噌を並べてしまうが、三太郎のお気に入りである。

 思っている事を文字に変えるのは大変だが、これを形にしていくという作業がなんとなくいいのである。パソコンに向かってああだこうだとキーをたたいている時間がなんだか気持ちいいのである。

三太郎というキャラクターを通して、あれこれ考えたり書いていることが楽しいのだ。ほとんど等身大なのだが、好き勝手に言わせるのがいい。三太郎が考えている、と思うだけで楽しいのである。

ついでだから中居三太郎の名前の由来を言ってしまうと、その名前を考えていた日が、たまたまクリスマスだったのである。で、トナカイとサンタクロースが活躍する日だから、トナカイサンタクロースの ト・ク・ス を取っただけなのである。
 
 ざわざわ抜いて読んで下さったのですか。どうも、どうもです。

話を戻すが、ここは三太郎だけの自己満足の世界なのである。気持ちを言葉にまとめて、書いて、読んで、自分で面白がっていれば世話がない。でもこれが一番なのである。

 ホント、あなただけですよ、読んで下さっているのは。どうもありがとう。

 今ではインターネットのお陰で、大勢の人が自分の気持ちを表現できるようになった。人気の掲示板や公開型の日記、出会い系サイトなど、実名ではなく、気に入ったハンドルネームとかいうニックネームを使って楽しんでいる。

それどころか、自分の気に入った顔やスタイル、そして服まで着せたキャラクターを選んで、そのキャラクターに言いたい事を言わせる出会い系サイトが大流行だ。

 気に入ったイメージキャラクターに「わたし」という「魂」を入れるのである。

どうせならもっと突っ込んで、現実の生活でも、実名○○□□で人生を楽しんでいる「わたし」であればいいと三太郎は思う。

そして、そういう「わたし」をいつも見失わないでいたいし、同時に○○□□の人生を「わたし」という「魂」が面白いなぁとか、楽しいなぁと感じていたいのだ。

 どっぷり浸かっちゃたら苦しいよ。ねぇ、おいちゃん! なのである。



◆魂の修行時代

 精神世界の本などに書いてある言い方をすれば、人生を味わっている魂がいるとか、人生は魂の学びの場だとか、人生は魂の修行の場、ということになるようだ。

 修行という言葉はあまり好きではないが、料理や大工を仕事とするような、いわゆる職人の世界では、「修行時代」と呼ばれるところから入るのが普通である。

新人は仕事について何も知らない。だから、まず師匠や先輩の後にくっ付いて、仕事のイロハのイから覚えるのである。そこである程度慣れてきたら、次に師匠や先輩の簡単な仕事の補佐をさせてもらえるようになる。これが「見習い」である。

こんなことを繰り返しながら、こつこつ時間をかけて、仕事の流れや仕組み、技を覚えていくのである。まだまだ一人前には程遠い。途中でいやになって辞める者、面白いからと喜んでやる者、何となくの者、金のためだと言ってやる者など、いろいろである。

見込みがあれば、一つの仕事を任せてもらえるようになる。やっと一通り出来るようになってもヨシではない。さらに新しい仕事を任せられれば、また一から勉強である。失敗すれば怒鳴られ、バカにされ、ぼろくそに言われる事だってあるだろう。

あれは好きだが、これはイヤだなどと、若いうちは愚痴や不平でいっぱいだ。「こんなとこ辞めてやる。」と啖呵をきっても、仕事の世話をしてくれた知人や両親の顔が眼に浮かぶ。ちっぽけな意地もかなぐり捨てて、ぐっとこらえて頭を下げて、「もう一度、やらせてください。お願いします。」と言えれば、今の時代、大したものである。

そして、いろいろな仕事、いろいろな役割を任せられ、すべての仕事が担当出来るようになって、さらに審査会、認定試験などがあれば、合格して初めて玄人とか真打と言われるようになるのである。

しかし、玄人とか真打と言われたところで、本人の技が世の中で本当に通用しなければ意味がない。早い話、どこに行ってもその仕事で人々に喜ばれ、自分もどんと構えて自信を持っていられるようでなければ、一人前とは言えないのである。


一服吸ったキセルを長火鉢の角でポンとやりながら、
「三太郎、おめぇもとうとう一人前になったなぁ。」と師匠が言う。

「ありがとうございやす。師匠をはじめ皆さんのお陰です。ご恩に感謝します。」
となれば、いろいろあった修行時代もそろそろ終わりかな、となるのである。

 その道の達人、名人あるいは天才と呼ばれる人がいる。こういう人は、やはり多くの人々に喜ばれる存在なのである。もっというと聖人、極めつきは 神様、とまで呼ばれるようになれば、もう存在そのものが有り難くて、ずっと人々の道しるべとなって輝いて、後進を導いてほしいと願わずにはいられないのである。

 
 はす向かいの建前の家を見ながら三太郎は思っちゃったのである。

  魂の修行時代もこんなんだったりして。。。


   つづく

お陰様って、何様?(5) 2003年07月31日(木)  No.010
 前回は「今の自分という存在と、それを明確にできる名前を大切にしてゆきたい」ということでいろいろ書いた。こういうのを心理学では自己の存在証明とか、自己同一化とか、自我同一性とかというのだそうだ。またの名を、「アイデンティティー」というらしい。

 普通、「アイデンティティーを確立する。」という言い方をするらしいけれど、つまり「自分はこういう人間である。」ということなのである。

言い換えると、「自分という存在が、できるかぎり自分の納得する形で、人間関係をとおして、自分自身を安定した精神状態にしておくのに必要な要素を得る」、ということだと思うのである。(表現が難しい?)

具体的な言い方に換えると、「自分という存在が、家族とか、仕事とか、社会とかの様々な関係の中で役割のあるものであり、またその関係の中で、自分の存在が認められるということに、自分自身が得心できる状態を作る」、ということなのである。

さらにもっと簡単に言い換えると、「自分が喜ばれる存在であり、そういう自分に満足を感じる存在である」、ということである。

 一方、いつ頃だったか、世間で「自分探し」という言葉が流行った。

自分を探すというのは言葉としておかしい。「私はどこ?」って言ったって、自分の人差し指で、自分の鼻の頭を触ればそれが私だ。自分を真剣に探しているとすれば、それはかなりアブナイ。

この場合の「自分」とは、自分を探しているという意味ではない。おそらく「私はこういう人間である。」と思っているところの、「こういう」を探しているのだと思うのである。

自分の「こういう」というものが他人に喜ばれ、それに自分が喜びを感じ、納得したいとすれば、「自分探し」と言う意味は、「アイデンティティーを確立する」のと同じである。

 「自分はこういう人間である。」と言ったって、両親が日本人なら日本人だし、自分を男だと思ってるんだったら男なんだし、親兄弟は誰それで、学校は…卒で、日本語は話せるけど、英語は…で、仕事は…で、結婚は…で、趣味は…で、特技は…で、性格は…だけど、こう見えても…だ、等々。
今さら変えようもない人種や国籍、生年月日日、生れ落ちた星の下は仕方がないが、私が幸せになれる道は、きっと見つかるはず…。

 もっと他にいいなと思う「こういう」を探している場合は、だいたい人間関係や今の状況が自分の思いどおりにならないところからくる、「不満」がそうさせる。

結婚相手や就職先など、損得や打算と世間体のいい「こういう」というだけで選んだ場合、自分が本心から喜んでいなければ、そのうち不満ガスが充満して爆発する、などというのはよくある話だ。

もっとも、倒産とかリストラ、果てまた病気、事故、災難など思いもよらない外因で、まさしく思いもよらない方向へ人生が転がってしまうのは、いつでも、どこでも、誰だって可能性はある。

 なんとも不確かなものである。

 でも、そんな、こんなでいろいろあっても、ちょっとやそっとじゃへこたれない自分、揺るがない自分、そういう自分を探し求める、いや、そういう自分を作ってゆく手段を探し求めるというのが本来の「自分探し」なのだと思うのである。

それでそういうことに気がついて、中身を作ろうとする手段が、どこかの宗教団体や自己啓発セミナーの信者になって、その勧誘に走り回ったり、瞑想をやりにインドやチベットへ行ってしまったり、通信教育でお坊さんの資格取ったり、動物がかわいそうと言ってベジタリアンになったり、エコロジストになるのだと仕事やめて田舎に移ってお百姓さんになったり、、、。結局「こういう」が変わってしまう。

 ありゃりゃ?・・である。

誤解のないように書くけど、三太郎は「こういう」を変えるのは悪いことではないと思っていますよ。人生経験を積むという意味ではいいことです。「こういう」を変えるには、けっこう勇気も気力も体力も、それとお金も要るしね。

その中から、アイデンティティーが確立でき、探してきた自分が見つかって、何があっても、どっしりと構えていられる自分。そして人に喜ばれ、そんな自分に喜びを感じることが出来ればいいのである。

でもそんな遠回りしなくたって、「こういう」が変わっても変わらなくても、思いもよらない方向へ転がっちゃっても、どんと構えていられて、いつもニコニコしていられる自分を手にしたいというのが本音である。

 三太郎の「こういう」は大したことありませんよ。大した学歴ではないし、父親の後を継いでやっていた商売は結局だめにしてしまうし、今は嫁さんの実家で同居しているし、子供が4人いるけど収入少ないし、最近白髪も増えて、おなかも出てきて、足腰も弱くなってきたしなぁ。


 ところで、「自分はこういう人間である」と思っているところの「自分」っていったい何様だと思いますか?

「三太郎」でしょ。

いえいえ、言い方を変えましょうか。
(この話は、*池田晶子氏の言ってることと同じです。)

 「自分は、三太郎という名前の日本人で、おなかの出てきた中年男だ。」と、思っているところの「私」です。

「はぁ?」

あなたがこのコラム読んで、「なにたわごと言ってんの。」と思いながらコンピューターの前に座っている(でしょ?)、と、思っているところの「あなた」です。

「私?」
「そう」
「私は○○××子よ。」
「そう、『私は○○××子よ。』だと思っている、わ・た・し です。」


その「わたし」って「魂」だと思いませんか?
 

  つづく



*池田晶子:哲学者、文筆家。著書に「帰ってきたソクラテス」「悪妻に訊け」「考える日々」最近では「14歳からの哲学」。他多数。



   
 
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